江戸の規制に屈しない、パンクな浮世絵師・歌川国芳

源頼光の土蜘蛛退治を描いた『源頼光公館土蜘作妖怪図』
源頼光の土蜘蛛退治を描いた『源頼光公館土蜘作妖怪図』

描くことや出版にいたるまで自由な表現が規制されていた江戸時代。特に天保の改革の頃は、歌舞伎役者7代目市川團十郎の江戸追放、喜多川歌麿の手鎖50日の刑(鎖の付いた手錠をして自宅謹慎)など、たいへん厳しいものでした。

そんな規制をものともせず、様々な表現で描くことを続けたのが浮世絵師・歌川国芳です。

キッカケは源頼光の土蜘蛛退治を描いた『源頼光公館土蜘作妖怪図』。この作品が、厳しい規制への批判を込めた「判じ絵(別の意味を込めた謎解き絵)」と言う評判が立ち、一躍ヒーローとなりました。
役者を魚に見立てて描かれた『魚の心』
役者を魚に見立てて描かれた『魚の心』

もちろん国芳にも、再三の奉行所への呼び出しや罰金など圧力がかかりますが、屈することなく判じ絵を駆使し描き続けました。そんなパンクな精神が人々を惹きつけたに違いありません。

『魚の心』は、役者絵が禁じられていた頃、役者を魚に見立てて描かれた作品。きっと、奉行所に呼び出された時も「魚の絵です」と開き直った主張をしていた場面が想像できますね。
天保の改革を皮肉った『荷宝蔵壁のむだ書』
天保の改革を皮肉った『荷宝蔵壁のむだ書』

『荷宝蔵壁のむだ書』が出版された頃は、役者名を書かなければ役者絵の出版が許されていた頃の作品ですが「これは落書きなので、役者絵ではありません」という天保の改革を皮肉った作品といわれています。

規制に屈せず、自らの画力とアイディアで描かれた作品は、見た者を「ここまでやるか」と思わせるほど天晴なものばかり。あの手この手で天保の改革から逃れるように表現を続けた国芳のパンク精神は、自由を締め付けられていた庶民の代弁者の如く、絶大な支持を得たのでした。

いつの時代も、自分のスタイルを貫く人は人々の注目を集めますね!